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11/16久留里線へ そして奈良線でのキハ30活躍の思い出 [ライフワーク]

(続き) 翌日は穏やかな予報のとおり、雲一つない澄み切った夜明けの空が広がっていました。まだ日が昇らない朝6時前に出発。富士山との組合せが見られるポイントへ期待をこめて移動です。
読み通り東京湾を挟んで山肌が染まる富士山がクッキリ。上総清川駅を発車して来たキハ30 100先頭の921Dも、出たばかり日を受けてギラリ。一回来ただけでモノに出来たとは怒られそうです。なお、ここの場所は細かい網目の高いフェンスがありますが、AG-AF105だったので何とかなりました。

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ところで、このキハ30 100。元は首都圏でなく三重県の亀山運転区(現JR西 亀山鉄道部)に配置されて、京都とは、お隣である滋賀県の草津線や信楽線(2エンジン車のキハ52、53とペア)で活躍していました。
恐らくは1980年3月の草津線電化開業による余波でしょう。同車はその4月に天王寺局管内から八高線へ、その後は相模線へ。JR化後は、ここでも相模線電化で追いやられながら、久留里線へと移り住み、流転の人(車)生を歩んで来た1両です。

古い話になりますが、当地元、奈良線でも電化前の僅か2年間ですが、同じキハ30が2両だけ配置されて活躍していた時代があります。車号はキハ30 74、75で、それまで残っていたキハ20形と交代する格好で山陰の米子(現 後藤総合車両所)からやって来ました。写真は片運転台車代走により、キハ35形にぶら下がって活躍する朝7時代の京都行き。奈良線では最も混雑する列車で、その持てる収容力を如何なく発揮していました。1984年10月の奈良線電化後は、これら2両も、やはり100が居た亀山区、伊勢区(現JR東海 伊勢運輸区)へと順に移り、JR化後も名松線、参宮線等で活躍した後、間もなく廃車となりました。蛇足ですが当奈良線を走っていたキハ35最初期車1、2も、この少し前頃に直接、久留里線へと転属しています。
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もう1枚は、草ボーボーですが、こちらは地元駅で撮った朝の増結運用です。上写真の続行列車で、先頭を除いて冷房完備の急行用車両という、1本違いの列車で天と地ほどの差が特徴的。後ろに急行形キハ58系を従えていますが、京都へ到着すると先頭のキハ30(or40)が解放されて、後部の58系5両は和歌山への急行「紀ノ川」で折り返すという行路でした。58系の方は当時から地上設備の整った向日町運転所(現吹田総合車両所京都支区)所属の車なので、奈良線では唯一、垂れ流○式でないトイレ付の列車であったことも記しておきましょう。
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さて、話が脱線してしまいましたが、もう1両、増結運用で1往復半するキハ30も押さえにかかります。今日はキハ30+38+37という久留里線の全形式が揃ったオールキャスト編成。休日を除いて唯一、キハ30が確実に見られる運用ですが、朝の木更津寄りが先頭となるので、今の季節で正面を順光で撮るのは、ほぼ不可能です。上りの1本は久留里城の資料館脇にある展望台より撮りました。下の駐車場からは結構きつい急坂で、AF105でなかったら辛いところでした。
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Clip #77.jpg

2本目の下り927Dキハ30 100を有名な久留里ー平山Sカーブで。正面に日が回りませんが、次の列車は久留里止まりなので致し方なし。
Clip #78.jpg

3本目の931D。同時引退となるキハ37、38使用の別列車も合間で記録したりするので、あっという間に13時前に。レンタカーの返却時間が14時の上、この列車も折り返し木更津到着後は基地へ入ってしまうので、ラストカットとしました。連結幌と両運転台のキハ30の象徴となる検査表記側が端整に捉えれる場所を考えながら、ここに落ち着きました。写真だと300mm位で切り抜けると思いますが、ベスト位置のキャパが狭く、これから日が増すごとに難しくなるかもです。
Clip #81.jpg

これまで中々足が向かない路線と車両たちでしたが、最後に訪れながらも天気、車両運共に恵まれマスマズの成果でした。約400両中、ここまで持ちこたえて来た3両のキハ35系もあと10日。引退まで残された道のりは僅かですが、長年、見続けて来た一ファンとして、最後まで無地走り通せることを願ってやみません。

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